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他国での病気に愛の医療ネットワーク

人生は無常で予測できず、最も恐れるべきは老いと病です。二〇二二年三月の中旬、東京は春爛漫、桜が満開になりました。そんな時、慈濟日本支部のボランティアである呂瑩瑩のもとに、長く会員をしている知り合いから緊急の報告がありました。
多くの方々のご厚意により、台湾に帰ることが出来ました。写真/林真子
多くの方々のご厚意により、台湾に帰ることが出来ました。写真/林真子

人生は無常で予測できず、最も恐れるべきは老いと病です。二〇二二年三月の中旬、東京は春爛漫、桜が満開になりました。そんな時、慈濟日本支部のボランティアである呂瑩瑩のもとに、長く会員をしている知り合いから緊急の報告がありました。

六十歳を過ぎたAさんは、二月二十五日、一人暮らしの狭い賃貸部屋で倒れました。二日後、大家さんが気づいて、救急車を呼んで病院に連れて行こうとしましたが、どの病院も受け入れてくれませんでした。仕方なく家に帰って来ましたが、下半身が動かなくなって、自分の身の回りのことができなくなりました。大家さんが食べ物を買って来てくれるものの、床で排泄するしかなく、部屋中が嫌な臭いで充満しました。そのことを知った友人は、再び大家さんに救急車を呼んでくれるように頼みました。苦労の末、ようやく大きな総合病院が見つかりました。そして検査したところ、Aさんは、脳挫傷とくも膜下出血と診断されました。

コロナ禍での失業と病魔

Aさんは国民健康保険に加入していなかったので、入院後二日で一五〇万円もの医療費を支払うこととなりましたが、治療の後、症状は緩和され、下半身麻痺の後遺症のみで済みました。また、入院したとき、病院のソーシャルワーカーが国民健康保険への加入をサポートしてくれました。

Aさんはコロナ禍でこの二年間、仕事が見つからず、生活もままならない状況だったといいます。日本での就労ビザは、三月で切れ、台湾に帰る予定でしたが、寝たきりになり帰れなくなってしまいました。そこで、Aさんの友人が、慈濟会員を通じて、日本支部に協力を要請したのです。その要請を受けた慈濟ボランティアの林真子が、状況を調べることになりました。

居留延長とボランティアの愛

この期間、慈濟ボランティアがAさんの友人に病院へ同行し、医師の説明を聞いたり、通訳の手伝いをしたりしました。三月二十七日、Aさんのビザが期間終了により失効しました。在留ビザがないと、違法になるだけではなく、国民健康保険の資格も失います。病院は慈濟スタッフに連絡し、入国管理局への「在留期間更新申請」のための緊急支援を依頼しました。

Aさんは背が高く、下肢が動かず、上半身の力もほとんどない状態でした。車の乗り降りをサポートするのも、かなりの労力が必要です。シートベルトをしていても、車いすから滑り落ちてしまうのです。しかし、幸いなことに、ボランティアの呉瑾瑜は、息子に頼んで病院まで車で送ってもらいました。

入国管理局のスタッフはとても親切で、この案件を優先してくれました。帰り道、道の両側には桜が咲いていましたが、Aさんは、桜に気づかず、虚ろな目で、未来に希望が見い出せないことを悲しんでいるようでした。

その後、病状が改善したため、病院から退院を勧められましたが、先に病院に運ばれた後、元のマンションは解約して、戻るところがありませんでした。退院後の滞在先がないことと、専門的なケアが必要なことから、慈濟スタッフは病院のソーシャルワーカーや台北駐日経済文化代表処と連携して、台湾への帰国を手配しました。

病院のソーシャルワーカーが国際医療搬送の会社を探してくれましたが、費用が高額で、Aさんは負担できません。そこで、日本分會はその費用を査定し、支援を決定しました。そして、慈濟が慈善団体であることを知った医療搬送会社は、コストを下げる工夫をしました。

台北駐日経済文化代表処(駐日代表処)は、同行する医療スタッフの入国関係書類を迅速に発行し、台湾で飛行機を降りた後、同日の便ですぐ日本に戻れるようにしてくれました。医療スタッフは台湾に入国して滞在しないので、台湾での宿泊費とPCR検査費用が免除されます。そうして最終的には、当初の見積もりの半分以下にまでコストを下げることができました。

共鳴する善と手を繋ぐ愛

また、病院側の配慮で、宿泊先がないことを考慮して、台湾への帰国便の日まで入院を認めてくれました。しかし、台湾ではコロナの流行が高まっていたため、日本駐在員事務所のスタッフが交渉の末、台湾に帰国した後すぐに、入院できる隔離された病院も、見つけることができました。

Aさんが台湾に戻るまで、慈濟ボランティアは、毎週日曜日に病院に行き、Aさんが必要とする衣類や洗面用具を準備するのを手伝いました。ある時、ボランティアの会合でこの話を聞いた山梨の加藤恵は、何かできないかと華僑の友人達を積極的に誘いました。華僑の皆さんは「日本関東海外援護協会」を設立し、困っている同胞を助けようと二十万円を拠出してくれ、「将来は慈濟と協力して、みんなで善行を積んでいきたい」と積極的に発言してくれました。群馬の慈濟ボランティアも、今回の緊急事態を聞いて親睦基金から十万円を支援に充ててくれました。

多くの方々のご厚意により、四月二十六日、Aさんは台湾に帰国できました。ボランティアの許麗香と林真子は、成田空港へ向かい、駐日代表処の呂宗翰さんと会い、空港でのチェックインに同行しました。慈濟ボランティアは、Aさんが無事に台湾に戻れるよう、祝福の言葉を送りました。

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