慈濟日本について

慈濟基金会日本支部は1991年に設立され、会の理念に沿って現地で募金して現地のボランティアが現地で活動している。普段は慈善事業を中心に活動しており、災害時には支援活動も行っている。

沿革

1991年 慈濟日本分会設立

6月3日、謝富美(靜聖)は台湾慈濟本部の了承を得て、日本の法務局にて慈濟日本分会の登記を行い、設立。

10月25日、日本分会にとって初の慈善事業の案件対応、病を患った留学生の帰国に支援。

翌年11月、機関誌《日本慈濟世界》創刊。

4月26日、名古屋空港で中華航空機墜落事故が発生。慈濟は通訳やご遺体の身元確認に付き添うなど、犠牲者の家族をサポートする。

1995年3月、山友会と協力し、隅田川にて初の路上生活者支援として、おにぎりを配布。11月、寝袋を配布。

2009年1月、日比谷公園「年越し派遣村」でリーマンショックによる失業者のための炊き出し活動を実施するきっかけで、3月初めて代々木公園で路上生活者に炊き出しを実施。

2017年4月、大阪西成区で日雇い労働者に対して、月一回の炊き出しを実施。

日本分会の設立した当初、ボランティアが無償で貸してくれるマンションで、1992年3月に船橋、同年11月に三軒茶屋、事務所として運営していた。

2001年11月4日、現在地(東新宿)へ移転。

2002年4月、子供の中国語教室を開講。

2006年10月、大人の中国語教室を開講。

現在は、中国語教室のほかに、いけばな教室、写経クラスなども開講。

2002年8月、新宿大久保通りで街の清掃活動を開始。

7月25日、新潟県三条市水害に、被災宅の掃除、片付けなどを支援。

10月25日、新潟中越地震発生、十日町、小千谷で炊き出し及び物資配布。

7月19日、新潟県柏崎の震災で被災された方々のために炊き出し活動を実施。
6月、海外から治療に来た小児眼腫瘍の患者への通訳及びサポート活動を実施。

11月6日、大阪連絡事務所を設立。

3月11日、東日本大震災。

3月15日〜16日、茨城県大洗町で炊き出し。当日、台湾本部からの救援物資が到着。

3月24日〜27日、岩手県大船渡市、陸前高田市にて救援物資を配布。

6月9日〜12日、住宅被害見舞金配布活動が岩手県釜石市及び陸前高田市を始め、12月までに東北の26市町村の96974世帯に配布、合計金額50億1642万円になった。

8月29日、釜石市と「学校給食及びスクールバスの補助金」に関する協力協定を調印。

2012年、「3.11 心を繋ごう」写真展が東京、宮城、大阪、山梨、岩手などにて開催。

9月、茨城県常総市鬼怒川水害。被災地で清掃活動や瓦礫撤去などを実施。4日間に渡って計1527個のベジ弁当を提供。
4月22日〜5月14日、熊本地震。大津町で炊き出し実施。
4月、経済的に困っている大学生・専門学校生を支援するため、「新芽奨学金」を設立。
7月9日、西日本豪雨被害に対して、岡山県真備町で炊き出しを実施。また、被災小中学校に対して、給食着(エプロン、頭巾)などを寄付。
8月27日、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)に加入。
10月、台風19号被害。宮城県丸森町に1000枚の毛布を寄付。川越市で瓦礫撤去、長野県で炊き出しを実施。
4月、世界各地でコロナウィルス感染拡大の影響でマスク不足。マスクなどの医療物資を市町村、病院、福祉施設などに配布。

1月1日、能登半島に地震が発生。

1月13日〜3月29日、穴水町で炊き出しを始め、地元の住民や医療従事者の方々に合計13,000食以上の温かい食事を提供。

2月16日〜7月25日、心の安らぎを与える地域コミュニティの拠点を目指し、「慈濟カフェ」を開設し、1万杯以上を無償提供した。

5月17日〜9月1日、穴水町、能登町、輪島市、中能登町、珠洲市、志賀町にそれぞれ2回、七尾市に1回見舞金を配布。

9月21日、能登半島で大規模な水害が発生。

9月28日〜10月7日、ボランティアが水田の復旧や掃除などの水害支援活動を行なった。

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