創会者證嚴上人

證嚴上人

 について

證嚴上人は、1966年に台湾花蓮で「佛教克難慈濟(ツーチー)功徳会」を設立しました 。

慈濟(ツーチー)とは、中国語の「慈悲喜捨」由来として、慈悲の精神で人々を救済する意味です。

上人は、5人の弟子と、赤ちゃんの靴を縫うなどの作業を行って稼いだお金で慈善活動を始めました。30人の主婦に が 毎日野菜を買う費用から50銭を節約して、竹筒に貯金してもらい、困窮者などを助ける救助金としました。

それから50年余り、一歩一歩、慈濟は国際NGOとして、66の国と地域にボランティアがいるまでに発展し、これまでで支援した国や地域の数は126に上ります。

仏教のために

 衆生のために

こち転々とした後、ようやく花蓮県秀林郷の普明寺という小さな寺に落ち着くことができました。苦しい日々を過ごしていても、法師の仏教を学ぶという決意が薄れることはありませんでした。

慈濟功德會

   を設立

1966年のことでした。上人はある病院で、原住民の妊婦が残した出血の痕を見ました。彼女は、保証金が払えず、治療してもらえなかったのです。それをきっかけに、貧しい人々や困っている人達のために慈善団体を立ち上げたい、と上人は思うようになりました。

そんなとき、偶然にも、花蓮海星中學の3人のシスターが布教に来て、お互いの宗教の教祖や教義、教えなどについて語り合いました。シスター達は帰る際に、「今日やっと、仏の慈悲は生きとし生けるものすべてまでに及ぶことがわかりました。本当に素晴らしい。私たちカトリックの博愛は、あくまで全人類のためにあり、私たちは、社会に教会や病院を建てたり老人ホ-ムを作ったりしてきました。では、仏教は、具体的にどのような社会貢献ができたのでしょうか」と問いました。すると上人の心は、が急に重くなりました。仏教徒は、人に知られることはなく善行を積むことが多く、そのほとんどが個人で行われ、匿名で静かに行われるだけです。しかし、残念な がら、この豊かな愛は散り散りバラバラであり、まとまっていませんでした。ですから上人は、この愛の力を組織化し始めることにしたのです。

そして遂に、1966年5月14日(旧暦3月24日)、「佛教克難慈濟功德會」が正式に成立したのです。

竹筒歳月

貧しい人々を助ける慈悲の慈善活動は、6人の尼僧がそれぞれ毎日1足のベビーシューズを多めに作ることから始まりました。また、家の裏側にある竹を利用して、竹筒の貯金箱30個を作り、1個ずつ信者に渡して、1日50銭ずつを貯金してもらうようにしました。それなら、月に15元を払えばいいじゃないの、と不思議に思う信者もいましたが、これに対し上人は、「毎日、竹筒貯金箱に50銭を入れて、人を助けの心を持って買い物に出かけてほしい。を節約することは、素朴愛の心、と人を愛し助ける心を養うことになる、と上人おっしゃいました。

30名の主婦は、毎日買い物カゴを持って市場に行き、「救濟会の活動で、 1日50銭を節約して困っている人を助けたいんです」と喜びに充ちて皆に声を掛けました。こうして50銭でも人を助けることができる話が広まるようになり、参加者がどんどん増えていきました。そして人を助けが実現してきたのです。

功德会が設立後2カ月、中国からやってきた一人暮らしのお年寄りを助けました。彼女が亡くなるまで毎日食事を提供したり、掃除をしたりして最期を見届けていました。以上が、世界を救う困難で偉大なプロジェクトの始まりです。

ディスカバリーチャンネル:證嚴上人と慈濟

靜思語

静かに考えて、

 考えてから話す。

「静思語」は、證嚴上人が、人々を導くために語りかける言葉を、より多くの人に親しんで理解してもらおうとまとめたものです。人間関係や自己啓発のこと、人助けのことなど多岐に語られ、心に沁みる言葉の宝庫です。今や12カ国以上の言葉に翻訳されており、いつでも、どこでも、誰でもその一言に背中を押され、勇気をもらうことができます。

静思語のシンプルな言葉は、一見平凡に見えますが、心や現実に語りかけるからこそ、人に影響を与える力を持っています。元気が欲しいとき、勇気を出したいとき、心を整えたいとき、ぜひ静思語を読んでみてください。読み終えたとき、きっと不思議と見失った自分をもう一度見つけられます。

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證嚴上人今年のお言葉

地域社会を支える力に
なりましょう

大海の一滴
枯れることはありません