配布現場で思いやりの実践
被災しても前を向いて
最初に見舞金を受け取った千葉さんは「こんなに早く現金をいただけるとは思わなかった、本当に感動しています!」と述べました。古内おばあさんは見舞金を受け取る際、深く感動してボランティアに礼を述べました。体の冷えていたおばあさんの手をボランティアが温めると、おばあさんは暖かいと喜びました。
志田勝芳さんは、五人家族で四世代が避難所で暮らしており、全壊した家を再建する余力がありません。3.11の地震では家が半壊し、通知を受けられなかったため見舞金を受け取れませんでしたが、今回は現金と毛布をいただき、深く感謝していました。
容赦ない自然災害に対して、多くの被災者が前向きな姿勢を見せています。二軒の家を焼失した方は「被災しても前を向いて生きていきます」と話し、またある被災者は「生活を一からやり直すことになっても、命が無事なことが一番大切です」と語りました。
僑本さんと米澤さんは元々親しい友人でしたが、連絡が途絶えていました。今日、配布会場の駐車場で偶然再会し、喜びの涙を流しました。二人は今回の火災による心境を語り合い、全てを失ったのは事実だが、これは天災であり、考えても仕方がない、むしろ前向きに生きていこうと話し合いました。
仏典の教えによれば、この世の財産は五つの家(政府、盗賊、火災、透垣、不肖の子孫)に共有され、天災が来れば何も持ち出せません。地水火風、この世のものは永遠に私たちのものではないのです。このお二人の態度に、ボランティアは深く感銘を受けました。
エコ毛布とショールは世界からの愛
エコ毛布はペットボトルをリサイクルして作られ、物を再生させながら慈善救援活動に役立て、善行は世界中に広がっています。
高齢者や障害者への配慮として、エコショールも用意し、温かさと保護を提供したいと考えました。見舞金配布会場では、エコ毛布とショールも同時に配布し、全てを失った被災者へ即座の愛と思いやりを届けられるよう願いました。
心温まる温かい食事とお茶
ボランティアが手作りした温かい食事を共に食べ、被災者の胃と心を愛で温めました。
袖野さんも二度目の被災者で、3.11では家が全壊しました。七年かけてようやく再建が完成に近づき、最近は子供も大きくなり、家の隣に増築も予定していましたが、完成前に山火事で灰燼に帰しました。彼はボランティアに「見舞金をいただいたら、農具を置く小屋を建てたい」と話しました。見舞金の額は新しい家を建てるには遠く及びませんが、その温かい思いが彼の新生活の第一歩を支えられます。
泉恵さんはメディアで配布の情報を知りましたが、「このような団体が見舞金を配布するなんて信じられず、半信半疑で子供を連れて来ました」と言い、見舞金を受け取った後、子供に背を向け、ボランティアの肩に寄りかかって涙を流しました。
火災後、何も持たずに子供と避難所で生活し、子供の将来を心配していましたが、自分を奮い立たせていました。そのストレスがついにこの時に解放されたのです。ボランティアは「思う存分泣いていいですよ」と声をかけました。
地元ボランティアの芽生え
3.11の津波の後、慈濟は10回にわたって見舞金を配布し、地域でお茶会や感謝会を続けてきました。今回の救援チーム70人のうち、東北各地から20人以上の地元ボランティアが参加しています。
様々な地域から集まった地元ボランティアは、到着後すぐに各担当に加わり、力を尽くし、被災者が被災者を助け合う形で、互いに支え合いました。ボランティア達は、一杯のお茶、一切れのお菓子、そして耳を傾け傾聴することで寄り添いを始めました。
気仙沼市職員の吉田瞳さんは、3.11の津波の際に慈済の配布活動を手伝いました。夫の吉田充さんも今日、見舞金配布を手伝っています。慈済ボランティアの願いと行動に深く感動し、再び立ち上がる力を見出しました。
片山月江さんは「十数年前、皆さんの助けがあったからこそ、今の私たちがあります。あの時の恩に報いたいと思い、少しでも恩返しができればと思います」と語りました。平山睦子さんは炊き出しを手伝いながら「14年前に全てを失いました!皆さんのおかげで立ち直れました。今回被災を免れ、お手伝いができることに感謝しています」と話しました。
佐々木善仁校長は今回、被災者を慰める活動に参加しました。陸前高田市出身で3.11の被災者でもある彼は「慈濟から大きな支援をいただいたので、今度は私が手伝いに来ました」と語りました。
及川栄勝さんは3.11の被災者で、慈濟石巻共修所でよく手伝いをしています。3.11の時に見舞金を受け取った後、翌年に日本支部に寄付を行い、初めて慈濟ボランティアから「竹筒歳月」の縁について聞きました。彼は深く感動し、日々の善行を決意しました。彼は「毎晩寝る前に小銭を竹筒に入れ、カレンダーに『×』を付けています。時々忘れることもありますが、その時は数枚の小銭を入れて大きな『×』を付けています」と実践を始めました。善行は小さくても行うべきという教えが、彼の最大の収穫となりました。
地域との連携 善行の良きパートナー
3.11の地震の際、新潟から来た相羽利子さんは一度も欠かさず参加しています。彼女と慈済との縁は、陸前高田市での見舞金配布時に、ボランティアたちが日本語が流暢でなくても全力を尽くす姿に感銘を受けたことから始まりました。それ以来、必要な時はいつでも車を運転して来訪し、慈済ボランティアと会って感謝と支持を表明しています。また、自身の責任感と使命感を持って、慈済のために力を尽くし続けると語っています。
今野芳彥さんは3.11当時、大船渡市役所の課長で、慈済の大船渡市での見舞金配布を支援しました。今回の山林火災での配布でも、被害状況の確認や地域との連絡調整を手伝っています。
小さな光が集まって 感謝の気持ち
初日の配布が無事に終わり、皆で地元ボランティアの話に耳を傾けました。日本支部の陳金発ディレクターは感慨深げに次のように語りました。「この14年間、東京のボランティアは、ほぼ毎年東北を訪れて支援を続けてきました。この長期的な大きな愛こそが証厳上人の教えであり、私たちは絶えず大愛を広げていきます」そして「20数名の地元の方々が各地から集まり、相羽さんは新潟から7時間以上かけて大船渡まで来てくださいました。これは一時的な救援ではなく、大愛を広め、情を深め、愛を広げていくことなのです」と述べ、最後に、必ず前進し、これからも毎年東北への支援を続けていこうと励ましました。
3.11から今日まで、黒髪が白髪に変わったボランティアもいれば、学生から会社員になった人もいます。14年の間、東北への愛と約束は変わることなく、慈済はずっとここにあり続けているのです。
