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能登半島地震支援(三):穴水町ニカ所に炊き出しの因縁

穴水町の避難所と病院の2カ所で温かい食事を提供。寒さや炊飯の困難に直面しながらも、被災された方々の笑顔に励まされ、心を込めて支援を続けました。
穴水総合病院で暖かい食事を提供。写真/陳麗芬

慈済日本分會は、4年前から日本でのボランティアプラットフォームに参加する中で知り合った穴水町社会福祉協議会を介して、穴水町さわやか交流館プルートで、最初の暖かい食事を提供しました。

さわやか交流館プルート

交流館の裏口、青いプラスチックシートで壁沿いに仮設キッチンが設けられまいた。これは仮設テントなので、ボランティアは風、雨、雪、寒さを耐えなければなりません。

地元の人々からの感謝と賞賛を受けながら、ボランティアたちは初日(1/13)に食事を無事に提供しました。しかし、その後、ご飯を炊くことがボランティアたちの悪夢となったのです。2日目は雪で、ガスボンベのガスが凍結してご飯が炊けなくなったのです。一鍋ごとに半熟のご飯が出来上がり、炊き出し経験を持つボランティアたちは、大きな挫折感を味わいました。3日目も同じ問題が発生し、穴水病院からの支援と避難所から提供された電子レンジを使って、ご飯を炊く問題を解決しました。しかし、電子レンジが故障し、地元のボランティア団体からガス炊飯器を借りました。しかし、この試練を乗り越え、みんな炊飯の達人になりました。

避難所の被災者は、高齢者が多く、ボランティアは心を込めて食事を提供しました。野菜は細かく切り、柔らかく調理するようにしました。十分な食物繊維を提供するために多くの野菜を提供し、豊富なタンパク質を提供するために豆腐料理も提供しました。ある被災者は「なぜかわからないけど、温かい食事を食べたら口内炎が治った」と言いましたが、これはベジタリアン食の力なのでしょう。

さわやか交流館プルートにおける炊き出し。写真/慈涓

穴水総合病院

陳文筆医師の紹介で、穴水総合病院の島中公志院長が、13日最初の温かい食事の提供地に訪れ、地震が発生してから現在まで、医療スタッフも被災者も温かい食事を食べたことがないとのことで、病院でも温かい食事を提供できなかどうか尋ねました。ボランティアはすぐに承諾しました。

ここの被災者は、初日(1/14)、後の人の料理が足りなくなるのを恐れて、追加をためらっていました。しかし、2日目からは、大盛りを要求する声が聞こえ始め、女性たちも「大盛りお願いします!」と言い始めました。

各グループは約15人のボランティアで構成され、同時に2カ所で配布しました。問題は次々と浮上しましたが、温かい食事を手にする被災者のほっとする顔を見て、全てが報われました。

穴水総合病院の島中公志院長(左)が陳文筆医師(左から2人目)とボランティアを案内し、翌日の炊き出しに向けて病院の調理室を視察した。撮影/鍾佳玲
気温が零度に下がり、穴総合病院のガスボンベも凍り、ボランティア達が毛布を巻き温めよとしている。写真/高晙喆
今回の支援に向けて、私たちが出来るだけ早く活動を始められたのは、沢山の方々のお力添えと団体による長年の炊き出し経験があるからだった。それに、何よりも被災された方々の無力さや苦しみを自分のように感じ、なんとしても栄養のある温かい食事をとってほしいという上人の思いと支えがあるからだった。支援報道に関して、NHK とテレビ朝日をはじめ、 北陸、北国、産経新聞等のメディア関係者は、私たちに問いかけた。台湾発祥のボランティア団 体はなぜここに来たのか。「純粋にそうしなければと思う一心だった」と、私たちは答えた。写真/鍾佳玲

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