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森林火災見舞金支給のため、ふたたび大船渡へ

東日本大震災から14年。かつて支援を届けた大船渡市で発生した森林火災を受け、慈済ボランティアが再訪。見舞金支給と寄り添いを通じて、長年育まれた「絆」と感謝の輪をつないだ。

岩手県大船渡市赤崎町地区で2月26日に発生した森林火災は、乾燥と強風に煽られ火勢は6日経っても衰えず、4,300人余りが避難を余儀なくされました。これは日本において、ここ30年来最も深刻な森林火災でした。

この森林火災は3月5日と6日、2日続いた降雨により延焼が収まり、翌週3月10日、大船渡市はこの大火災が鎮圧されたとして避難解除を宣告しました。この通達を受け避難していた人々は家々に帰って行きました。しかし、3月15日現在、役所の家屋損失統計ではこの火災で102棟が焼失、帰る家を失った199人の人が避難生活を続けていました。

愛を持って、私達は再び来ました

岩手県大船渡市は日本の東北に位置しています。距離にして東京日本分会から約550キロ、車での所要時間は約7時間です。今から14年前、3.11東日本大地震発生後、慈済ボランティアは3月下旬に第1回の物資支給を行いました。あの時、最初に赴いたのが岩手県大船渡市でした。避難所の人達にアルファ米、毛布、マフラー、下着とナッツの詰め合わせを贈りました。そして2011年8月、再度、大船渡市訪れ地震によって家屋が半壊以上の損害を受けた3,355棟の住民に見舞金を支給しました。

14年後、今度は森林火災により家屋が半壊以上の損害を受けた住民へ世帯人数に応じて10万円、15万円、20万円を支給し、少しでも急を凌げればと、再び大船渡市へ足を踏み入れました。

見舞金の準備を至急おこなう

見舞金支給の準備の時、至る所に「感謝、尊重、愛」が見られました。

82歳と高齢のボランティアであり、茶道の先生でもある張好さんは縁を大事にしています。いつも得意のお茶と自作のお菓子で被災者の皆さんと縁を結びます。浄斯産品の蔴芛粉(アサイー)、山薬杏仁(アンニン)、薏仁粉(ハトムギ)、この三品を加えた茶菓子は非常に栄養があり、美味しくて沢山食べても飽きることはありません。

見舞金の封筒制作を担当したボランティアは、紙の選び方、紙の裁断には非常に注意を払いました。被災地の皆様がこの手作りの封筒を受け取ったとき温かさを感じてもらえたらと思いながら作成しました。紙の裁断時にはもし切り間違ってしまったら、1枚100円以上する紙を無駄にしてしまうのではないかと、細心の注意をしながら製作していました。

慈青(「慈濟大学青年会」の略称)の李彦霈さんは「紙を切るその全ての過程においては細心の注意を払い、最上の物を作ろうと心掛けました。各工程では心を込めて念仏を唱え、被災者の皆様がこの封筒を受取った時、私たちの真心を感じ取ってくれるようにと心を込めて祈りました」と話していました。ボランティアは各自の作業を理解し精魂込め作業し、この真心が被災者の皆様の心に伝わる事を祈っていました。

各組が準備を進めました。総務組は温かい食べ物や支給時に使う道具を、寄り添い組はリーフレットや縁結びの品を箱に詰めました。行政組は使用する大型バスの手配に路線確認、宿泊先等細部にわたって確認をしました。

支給組の事前打ち合わせでは見舞金支給の流れの説明、「番号案内システム」の動作説明が行われました。被災者寄り添い組はお互いに携帯電話の録音アプリの有無を確認し、この活動を記録に残せる様に間違いなく動作する事を確認しました。この時、若いボランティアは年長のボランティアに録音の操作方法を丁寧に教えていました。

見舞金支給の戸数は多くは有りませんが、誰もが細心の注意を払い、綿密に計画し、支給工程に於いては一つひとつ説明し予行演習も行いました。

大船渡へ、私たちはふたたび来ました

4月4日、陳金発さんを団長とする23人のボランティアは新幹線に乗って仙台へ、仙台到着後、ワンボックスカーに乗り換え見舞金支給会場へと向いました。会場となる「三陸公民館」に到着後、さっそく準備を始めました。東京からの物資運搬車も到着し、お互い協力し合い物資を搬入し、それぞれ手分けして各作業担当組の予定位置へ運び、見舞金支給組は直ぐに「番号案内システム」のテストし設置しました。

全体の作業が一段落したところで、許麗香執行長と数人のボランティアが茶菓子を持って会館の職員を訪問しました。「この手作りのお菓子、これは遠くから温かさと友情を運んで来ました」とお渡しすると、職員の方々は口々に「とても美味しいです」とおっしゃってくれました。

今回の支援活動では初めて見舞金支給と炊き出しを同時に行いました。担当するボランティアは現地に到着後、直ぐに地元のスーパー Maiyaへ行き、地元の新鮮な野菜を使って素食料理を作る準備をしました。それは被災者の皆様の心の中に温かさを提供しました。

東北の大槌町にお住まいで大槌町議会の議員でもある山崎充さんは手伝いのため一番初めに会場に来られました。3.11のとき見舞金を受け取った縁で慈済を知り、ボランティア活動にも数多く参加されております。現在は慈済が主催する大槌町の新芽奨学金支給の活動にも参加されています。

大槌町在住で大槌町議会議員を務める山崎充さん(左)。

「絆」は「拉長情(長きに亘る愛)」 愛の種子です

日本分会行政主任の陳思道さんは3.11の時は会社員で、休暇を取って、何度も東北へ赴きました。今回の災害支援活動でも見舞金支給の協調組を担当しました。

問い:今回と以前の支援活動に違いは有りますか?

思道さん:今回の活動ではより多くの被災者の皆さんと一緒に時間を共にするようにしたいので、見舞金支給の計画、内容及び人員配置はこれに沿って考えています。これは去年の能登災害支援活動の経験を基にしたものです。あの時、若いボランティアと年配のボランティアには違った長所が有る事が分かりました。この長所と長所を合わせ大きな力にしたいと思いました。いままで私たちは被災者の方々が見舞金の受け取りを待っている時、温かい食事や、温かいお茶を差し上げる事をしたことはありません。それは災害支援活動の時、重点は災害であり、災害見舞金を支給する事だからです。あの時、災害に遭った家屋は千、万を上回っていたかもしれません。今回はそこまで多くは有りません。ですが同じ災害です。私たちは皆さんに寄り添い慰める必要があります。私は被災者の皆様と心をつなげ、互いに一緒になって時間を過ごし絆を更に深める事ができることを期待しました。

日本語の「絆」は一般的に中国語で「牽絆」と翻訳されます。この「牽絆」には束縛や足枷の意味もあります。しかし今回、私が感じた「絆」には束縛も足枷もありません。それは親切で澄んだ清らかな感情であり、證嚴上人が私たちに告げられた「拉長情(長きに亘る愛)」の様です。

3.11を振り返って見ると、あのとき被災者の皆さんとどういった縁が結べるのか、どの様な援助が出来るのか、それをはっきりと答えることはできませんでした。全世界から愛の心を持って行きました、使命感もありました。しかし、東北に脚を踏み入れ、これからどうやって活動すれば良いのかは分かりませんでした。唯一分かっていたのは被災者の方々に「愛心」を伝える事、多くの人々に私たちがより寄り添っている事を感じてもらう事でした。

今回の森林火災支援金配布活動のために大船渡市を訪れ行政と調整を進めていた時、私は14年前の愛の力を深く感じ「種子」の意義も理解できました。ボランティアは愛の種子です。その種子は14年前のあの時に植え付けられたかもしれません。それはいつ発芽するか分かりません。あの種子、それは今の現地ボランティアであったり、新聞社の人であったりします。彼らには14年前、慈済が災害支援に駆けつけた事、それが深く脳裏に焼きついています。ほんの少しの愛、それが彼らの心の中に留まっています。そして今回の活動に苦難があった時、彼らが彼女らが自主的に駆けつけ、私たちを助けてくれたのです。

10数年を経て、再び大船渡の土地に足を踏み入れました。ここにはあの「絆」の種子がありました。それは「拉長情」です。愛の種子は成長し続け、そして成就しました。そこにはボランティア達すべての「感恩(感謝の気持ち)」がありました。

慈濟日本分会行政主任の陳思道さん(左)と地域ボランティアの今野芳彥さん。今野さんは大船渡市の元市職員で、東日本大震災時にも慈濟の見舞金支援に協力していただきました。今回の森林火災では、現地調査チームに同行し、避難所の案内や市との橋渡しに協力しました。
慈濟による大船渡での支援活動の情報は、こちらからご覧いただけます:大船渡森林火災

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